寂れた公園

私の育った地元は田舎ですが、年々土地の開発がされており、最近では大型ショッピングモールも出来るようになるまで発展しています。
しかしまだまだ未開発の土地も多いため、現時点では田舎と都会が入り混じったような状態になってしまっています。

昔から住んでいる人なら、時代の流れを知っているため違和感を感じないかもしれませんが、初めて来た人からしたら
「なんで道路を挟んでこんなに違うの?」
と疑問を持つこともあるくらいです。

ところが1箇所だけ、いつまでも開発されないままで居る空間があるのです。
昔から住んでいる私自身もその場所を疑問に思っており、周りの人もそうでした。

その場所とは、新しく開発された区画の中央より少し南の方にある、寂れた公園です。
公園はすでに遊具も錆びており、時々小さい子供が遊んでいますが、近くにはもっと大きく綺麗に整備された公園もあるため、需要はあまりないと思われます。
土地開発する上でも街の景観とは合わず、やろうと思えば素人目にもコンビニ1つくらいは入るスペースがあります。
近所の方も必要ないし、もうじき無くなると思っていたのですが、何年たっても無くならないため不思議に思っていました。

そんな中、他県から来たばかりの友人へ私の地元を案内していた時のこと。
友人もやはり「あの公園何?」と目に付いたようでした。
「昔からずっとあるがなんで残っているかわからない」と伝えると、急に走ってその公園を見に行く友人。
私も遅れてついていき、公園に入りました。

初めて入る公園は外から見るよりもきれいに見え、使い勝手は悪いですが、昔ながらの落ち着いた感じがあって残される理由もなんとなくわかりました。
友人の方はというと、何をはしゃいでいるのかかなり雑に遊具で遊んでいます。
すると、子供向けの遊具で大人が遊んだせいか、はたまた老朽化していたのか、ブランコを壊してしまいました。

友人は興奮冷めやらぬ様子で、そのまま笑いながら逃げるように公園を去ろうとします。
流石にそのままではマズいと感じた私は、無理だと思いながらも直せる範囲でブランコを何とかしようと試みます。
すると急に空気が寒くなったり(季節は初夏でした)、耳鳴りがしたりとおかしな感覚を覚えました。
結局ブランコはどうすることも出来ず、諦めて公園を出ようとすると、左腕を何かに引かれるような感覚がありました。
振り向いても当然誰もおらず、横に木があったので服が引っかかったのかなとその時は思いました。

その夜、家に帰って風呂に入ると左腕に打ち身のような痕が薄くありました。
日焼けかどこかにぶつけたかな?と思いましたが、まぁすぐ消えるだろうとあまり気にしなかったのですが…
しかし数日ごとに左腕の痕は目立つようになり、長そでを着ないと注目されるほどにまで酷くなりました。
ここまで強く痕になる心当たりはありません。

ところがその友人と後日電話で会話していた時に、何気なく左腕の痕について話してみると
「それ私にもある!」
と思いがけない反応が返ってきたのです。
友人の左腕を見てみると、確かに私と同じような打ち身?のような痕がくっきりと浮かんでいました。
私は痕だけでしたが、友人はだんだんと左肩が重くなっていったり、自転車と衝突事故が起きて左腕を負傷し、病院にまで運ばれたそうです。

「一体何が?」
謎解きのように私と友人で共通点を探すと、痕が出来る前一緒に遊んでいました。その1日を思い返してみると…あの公園での話が自然と上がってきました。
怖くなって一度電話を切り、親にあの公園について話を聞くとうる覚えではありましたが
「そういえば大分昔に、あの公園のブランコで大きな事故にあった子供がいたな。」
という返事が。
あの公園に何かがあると、私は感じました。

改めて友人に連絡した私は「もう一度公園に行こう」と話をしました。
何が出来るのか分かりませんでしたが、行かなければならない。
そう感じた私達は、2週間後にまた公園へ行く約束をしました。

ところが不思議と、左腕の痕は次第に薄くなり、2週間後にはほとんど消えてなくなりました。

一体何だったのだろうと思いながらも、約束通り友人と公園へ行くと、土地開発が始まったのでしょうか。
遊具は1つ残らず撤去されていました。

作業している方へ話を聞いてみると、公園は土地整備のため2週間前から工事に着手し始めたとのことです。
しかし業者の方が次々と体調不良やケガを負っているため、なかなか工事が進まず長引きそうだ、という話をしていました。

もしかしたら私と友人は遊具を壊したため罰として痕が出たのかもしれませんが、工事が始まって標的が変わることで腕の痕が消えたのではないのかと、オカルト的な憶測をしています。

 

神隠しの空き家

家から歩いて30分くらいの所に、和洋折衷な造りの古い空き家がある。
高校の登下校で気分転換がてら稀にそこを通るので、自分にとってはとても馴染みのある建物だ。

それは自分が物心つく以前からある建物で、確かに長くそこに居座っているということだけはわかっている。
門に表札はなく、草も生え放題で、空きっぱなしのガレージには日曜大工品やらガラクタやらがめちゃくちゃに押し込まれたまま放置されている。
2階建てで、窓ガラスはヒビが入っており、こびりついた汚れのせいでガラスは曇って中はよく見えない。

ずっとそこにあるので特に興味もなく、ただ風景の一部としてしか捉えていなかった空き家…のはずだった。
ある日、学校の帰りにその空き家の側を通ったら、何かを叩くような音が聞こえてきた。
どこかで工事でも始まるのかと思い、その時は気にもしなかった。
1週間後、またその空き家の側を通った時、また何かを叩くような音が聞こえて来た。
工事があるのだとしたら、何かしらの準備がされているはずだが…周辺にはそんな様子もない。
それからしばらくぶりに空き家の側を通ってみると、連打しているような音が聞こえてきた。

空き家から聞こえてくる?
音によって意識を空き家へ向けられると、無性に中が気になってその場を離れることができなくなってしまった。

しかし誰も住んでいないことが明らかだとはいえ、所有物であることには間違いない。勝手に入ってしまえば、不法侵入になってしまう。
だがこの空き家の異変に誰も気づいていないとなると、それもちょっと心配だ。
何か事件にでも関係していたりしたら大変なことだから。

警察に報告しておいた方がいいだろうか、そんなことを考えていた矢先、偶然にも自転車へ乗った若い警官が前方からやって来る。
勇気を出して知らせてみることにした。

事を話すと、警官は「なるほど…」と頷いて耳をすませるが、さっきまでの打音は聞こえてこない。
警官は「本部へ報告しておくので、もう遅いから帰った方がいい」と言ってくれたが、私のような若者が言った事を信じて本当に対応してくれるのかどうか、不安になってしまった。
そんな自分の心情を察したのか、若い警官はちょっとだけ中を見てみると言ってくれた。

門には錠前が掛かっていたが、ガチャガチャと弄っていると簡単に外れて門が開いた。
警官は夕暮れの雑草が生い茂った庭先へ踏み入れ、足元を確認しながら空き家のドアの方へと歩いて行く。
自分も興味から、警官の後をゆっくりと付いていく。

警官がドアの取っ手をひねって開けようとするも、開かない。鍵が掛かっているようだ。
他に入れるところはないかと家の周りを一周していると、さっき聞いた打音がわずかに聞こえた。

「誰かいるのか。」

警官はスイッチが入ったように真剣な顔つきになった。
そしてベランダを支えている柱をよじ登って2階へと上がった警官が、大きな窓ガラス風のドアを開けようとするがなかなか開かない。
そこも鍵が閉まっているのかと思いきや、ガタっと窓が傾いて開いた。

警官は警戒しながら中へ入っていった。夕暮れ時にしてはまだ明るいが、空き家の中は暗そうだ。

それから15分くらい経っただろうか。
中に入っていった警官は戻って来ない。

自分は堪らずに「おまわりさん!」と声を出したが、返答はない。
そうしてしばらく待っていると、またあの打音が聞こえてきた。

何かまずいことが起こったのではないか。
自分は110番に電話してこのことを話した。
今思えば、相手にされなくてもよいから最初に110番へ連絡するべきだった。

近くをパトロールしているパトカーに立ち寄ってもらうということで、電話を切ったら間もなく2名の警官が来てくれたので再度事情を話す。
しかし姿を消した若い警官と連絡を試みるも、返答がない。

辺りが暗くなってきたので、逃亡犯などを追う時に使用するようなでっかいライトが空き家の中に運ばれて、捜索が行われることになる。
中がどうなってるのか確認できない自分は、もどかしさを感じつつ若い警官の身を案じた。
しばらくすると2人の警官が戻ってきたが、中には誰もいないということだった。

自分はキツネに包まれたような妙な気分になった。
まさか他の出口から出て行ってしまったのか?
だが結局、若い警官の姿は忽然と消えたまま。数日後には行方不明者となってしまった。

再度空き家での捜索が行われるも中には誰もおらず、特に異常のない普通の空きやだということだった。
だが若い警官が被っていた帽子だけが発見された。
この空き家の元の持ち主であった男性も、実は行方不明になっているそうである。

私が空き家と若い警官について知っている事はこれが全てだ。
捜索は4ヶ月にわたり、延べ300人の警官によって行われたが行方不明のままだ。

神隠しというのが本当に存在し、自分の目の前で起こったとは未だに信じられない。
打音が聞こえたということは、動力のある何かが中にあったということなのだろうが…自分には手の打ちようがない。

 

36人目の子

これは私が小学校5年生の時に行った林間学校でのお話です。

宿舎で食事を取った後、屋外でキャンプファイヤーをしていたのですが、先生から突然
「帰りは肝試しやるからな。」
と言われました。

予定表ではキャンプファイヤー後はそのまま宿舎に戻るはずだったのですが、想定外の出来事でクラス中大パニック。
テンションが上がる子や恐怖で固まってしまう子がいる中で、大のおばけ嫌いだった私は恐怖で怖気付いてしまいました。

遊園地のお化け屋敷ですら怖すぎて入る事が出来ない私でしたが、ビビって腰が引けた姿をクラスの女子に見せたりなんかしたら最悪です。
何とか周りのテンションに合わせて、嘘の自分を演じていました。

肝試しの内容は、先生の言われるがままに男女ペアとなり、順番に暗い夜道を歩いて宿舎まで帰るというものです。
私はAさん(仮称)という、色が白くて大人く無表情な女の子とペアになりました。

クラスメイトなのに一度も話した事が無い子で

「あ~ぁ、ハズレ引いちゃったよ。可愛い子が良かったのに…Aさんと行ったら怖さ倍増やん。」
と、失礼なのは承知で内心落胆しながら、目も合わすことなく順番を待っていました。

そしていよいよ私達の番となり、暗い獣道を歩いて行く事に。

途中先生が草むらから突然「わっ!」と驚かしてくるような安っぽい仕様でしたが、ビビリの私にはそれでも十分恐怖で、身体がガチガチの状態です。
しかしAさんはスゴいもので、相変わらず無表情のまま先生の脅かしにもリアクション一つ取らず、足元が見えにくい道も恐れる事無く堂々と歩いて行きました。

「こいつ普段から感情がないと思ってたけど、こんな時には頼りになるんだなぁ。」
などと見直しつつ、私はAさんを盾にするような形で何とか肝試しを乗り切る事が出来ました。

最後のペアが宿舎へ到着し、先生が人数確認をしていると…
「あれ?おかしいな。」
首をかしげています。
どうしたのかと誰かが先生に尋ねてみると

「ペアになれって言ったけど、よく考えたらウチのクラス35人やんか。1人余るはずなのに、全員ペアで行ってたよな!?」

クラス全体が騒然とする中、とりあえず確認の為ペアとなった状態で整列する事になりました。
肝試しの順番で並んでいき、私の隣にはAさんが…と思いきや、Aさんは後ろの方にいます。
「早く並べよ。」
とAさんに声をかけると、普段無表情なAさんが
「えっ!?私B君とペアやったんやけど…。」
と言うではありませんか。

その瞬間、ペアの相手がいない私に視線が集まり
「お前一体誰と行ったんや。」
と、一瞬にして場が恐怖で凍りつきました。
私もあまりの恐怖で気分が悪くなり、先生に付き添われて宿舎の布団で横になりました。

深夜2時ごろ。
昼間の山登りの疲れと、肝試しの恐怖で気を失うようにいつの間にか眠り込んでいた私でしたが、何故か目が覚めてしまいました。
宴会場のような部屋に布団を敷いて、クラスメイト全員が雑魚寝していたのですが、当然ながら全員眠っています。
再び寝ようとするもなかなか寝付けず、横になっていると…
私の近くにあった窓から、誰かに見られているような感覚を覚えました。

私は恐怖のあまり、隣で寝ている友人に助けを求めようしましたが、声が出ないだけでなく体もピクリとも動かない金縛りの状態になっていました。
視線は私へ向かって近付いているような感覚に変わり、もしかしたら肝試しの時にいたあの女の子が来ているのではと思うと、恐怖で全身が尚更硬直し
「頼むから来ないで!」
と心の中で祈り続けているしか、術はありませんでした。

気がつくと日は昇り、辺りは明るくなっていました。いつの間にか眠っていたようでした。
私の体験した話はこれだけで、その後は特に何もありません。
ですが数十年経った今でも、36人目のあの子は一体誰だったんだろうかと思うと、背筋が凍りつくのです。

待ってる

これは夏になる前くらいの季節でしたでしょうか。
当時小学校だった私が友人と親同伴で、近くのB湖へ水遊びに行った時の出来事です。

その日は観光客等は余りいませんでした。
視力の良い友人が
「あそこ見て」
と一番に気付きました。
視力が悪い私でも、そこに何かが浮いているのは分かりました。

「行って見てみよう」
友人が言うのでそうっと近付いて確認した瞬間、全身に電気が走ったかのようなショックが走り、汗が噴き出ました。
浮いていたのは男性でした。

勿論、B湖でそういう不慮の事故や事件がある事は知らされていたのですが、いざ現場を目の当たりにするとパニックです。
その男性はまだ生きていて気付いた私達に何かを言いたげでしたが、水を飲んでしまっていたのかよく分かりませんでした。

湖岸まで戻って誰かを呼ぶ事にしようと思って走り出そうとする私とは違い、振り返ってみると友人は男性を岸辺へ引き連れようとしています。
子供でも、確かに浮力を利用すれば少しずつなら運べたかもしれません。
とにかく私達はお互いに出来る事を急ぎました。

恐さもあり、何処をどうしたか等の細かな所は覚えていませんが、大人達が男性を囲んでそのうち救急隊が来た様でした。
そうして男性は運ばれていく際、私達の方を見て
「待ってる」
と言ったのです。

あまり聞き取れずハッキリとは断言出来ないのですが、口の動く型からはそう言ったように思います。
何を待ってるのか意味が分かりませんし、恐怖を感じてトラウマになった私と友人は、それ以降一切湖はもちろん海や川の遊びに行かなくなりました。

その後、その男性がどうなったのかは分かりません。
私も今では歳を経た大人となりましたが、友人とはこの件に関して一回も語り合った事が無く、言ってはいけないような雰囲気すらあります。

「待ってる」とは、一体どういうことなのでしょうか…。

苦しめる手

これは私が結婚をする前に体験した話です。独身時代の私は、まさに自由奔放でした。

仕事はフリーな感じで、たまに入る読者モデルの撮影をしてお金を稼いだり、それでも足りない場合はキャバクラで稼ぐという、気ままな生活をしていました。
実家で暮らしていたので食べる事には困らず、余計に完全なる自立ができていなかったように感じます。

そんな私が自由なのは仕事や生活スタイルだけではなく、恋愛に関してもかなり自由でした。
今考えると女性としてだらしがなかったなと思えるのですが、勿論当時はそんな事も考えることなく、様々なジャンルの人と気ままなお付き合いをしていました。
付き合っているのか遊んでいるのか分からない曖昧な関係で、特にHとGという2人の男性と一緒に過ごしていました。

Hは医療関係の仕事をしていて、実家もとても裕福な男性でした。
見た目も悪くはないので、もしかしたら私以外にも一緒に過ごしている女性がいるのかな?と思いつつ、彼との程良い距離感が楽しかった記憶があります。
何より私には結婚願望というものがなかったのも、お互いの関係が続いた要因なのかもしれません。反対にGは若くして土建業で成功していて、従業員は3人ながら20代後半で社長をしていました。
Gは私に対して束縛が激しく、恐らく女性との関係は私だけだと思っていたので、付き合いが重荷に感じることも少なくありませんでした。
そんなGからは将来の事をほのめかされたり、当時彼が住んでいたマンションで生活をしようと言われるものの、毎回なんとなくはぐらかしていました。

そんな生活を続けていた私に、異変が起きたのです。

 

その日はクリスマスのイブイブで、寒いながらも街はとても賑やかでした。
私はクリスマス期間はバニーガールに扮装し、店頭であるお酒メーカーの商品PRをするアルバイトをしていました。
クリスマスの予定も一切入れておらず、年末にバタバタと方々で忘年会をする約束をしていたのです。

23日は仕事の後の飲み会に参加したので、かなり酔って実家へ帰りました。
メイクも落とさずにベットで眠りこんでいると、突然
「死ね」
と、女性の声が耳元で聞こえました。

気がついて私がうっすらと目を開けると、誰かの手が私の首を絞めているのです。
体は固まって動かないので目だけで確認すると、細くて美しい手がそこにありました。

最初は妹が冗談でやっているのかと思い、必死にもがきます。
するとス~っと体から手は離れ、はっきりと目が覚めると体も動くようになりました。
体を起こすと、私の部屋のテレビと間接照明はつけたままになっています。
妹がいた形跡もないので、急に怖くなり妹の部屋へ行くと…妹は留守でした。
そういえばクリスマス期間は彼氏と泊りへ行くと、前日に言っていた事を思い出しました。
両親の寝室も覗いてみましたが、2人とも熟睡です。

悪い夢でも見ていたんだなと思い、メイクを落とすために洗面所へ行きました。
そこで洗面所の鏡をふと見ると、私の首にはっきりと手の跡がついているではありませんか。

誰かが私の部屋に来て首を絞めた事が事実だと思うと、怖くて体が震えました。

その日から私のすっきりとしない日々が始まりました。
家に帰るのが何だか嫌だった私は、それこそ日替わりでHやG、その他男友達と遊んでと、男性の家を転々とする様になりました。

ですがどこへ行っても、寝入った時に誰かが首を絞める出来事が続きます。
現実なのか夢なのかも曖昧で、しかも原因不明な怪奇現象に追い詰められた私は段々と神経質になり、一時期はノイローゼ状態にもなりました。
精神的に不安定となったことで、気がつくと私の周りにはHやGはおろか、1人残らず男性が離れていったのです。

ある時、私のひどいやつれ方を心配した職場の同僚が霊能者だという人を紹介してくれました。
その同僚には私の不調の原因を話していたので、心配してくれたのです。

霊視した所によると、Gの別れた元彼女が私の事を相当恨んでいる事が原因だと言われました。
その恨みが生霊となって、私へ悪さをしているらしいとのこと。
すぐにGの元彼女に会って、誠心誠意謝罪しなさいと指示を受けました。

Gの元彼女はなかなか私との対面に応じてくれなかったのですが、Gに説得してもらい、会って謝罪をしました。
霊視の通り、私はGの元彼女から相当な恨みをかっていました。
それもそのはず、Gとの結婚を意識し始めた矢先に私が現れ、別れの原因となっていたのです。

それからは私を苦しめる手は現れなくなりました。やはり手の主はGの元彼女だったのだと思います。
人との付き合いは真剣にするべきだと痛感した私は、その後お付合いした方と幸いにも結婚することができました。
若気の至りで片付けられない、私の体験でした。

青い人魂とコオロギ

これは夏の暑い日の出来事でした。
私達は暑気払いもかねて、気心知れた美容師仲間3人で飲み会をしていました。

飲み会も後半に差し掛かり、話がはずみます。
そうしているうちに1人がこんなことを言い出しました。

「そういえば、今日お客さんから○○山の人魂の話を聞いたよ。俺ら地元に住んでいるけど、まだ行ったことがなかったよな。今日行ってみないか?」

新しいもの好きで好奇心旺盛だった私達は「お客さんとの話でネタになればいいな」と思い、山奥にある心霊スポットへ肝試しに行くこととなりました。

そこは戦没者の慰霊碑あり、全国から訪れる人がいるほど有名な場所です。
地元では「お盆の決まった日時に行くと人魂が現れる」という噂がかねてからあり、私も聞いた事はあります。

 

戦没者慰霊碑なので、初めは遊び半分でそういった所を見に行くことは気が引けました。
しかしお酒に酔った勢いと、「友人と行くなら大丈夫か」と軽はずみなノリがあいまって、足が向きました。

山奥の慰霊碑がある所までは階段を上っていきます。
息も途切れ途切れになりながら、半ば登り始めたことを後悔しだしていました。
先を歩いていた友人が振り返って「遅いぞ」と呼び掛けてきます。
焦った私は、速足になり階段を踏み外し転んでしまいました。

「おっと」と思って姿勢を修正しようと思ったら、その拍子に階段のわきにある窪みの下まで落ちてしまいました。
腰にズキンと痛みが走ります。
目の前には苔で湿った地面が見えたのですが…
なんと、そこには大量のコオロギがいるではありませんか。

動けない身体で湿った苔の中、コオロギが身体の周りへ大量に集まってきます。
「ガチャガチャガチャガチャ…」
という鳴き声に、意識も遠のきかけます。逃げようにも腰を打っているので動くことができません。

友人達も、私が足を滑らせて階段のある経路から外れていることに気づいていないようです。どんどん先へと進んで行きます。
コオロギの大群の気持ち悪さに、身の毛がよだちます。

その時、携帯が鳴りました。
友人からの電話です。
「やっと気づいてくれたか」
安堵して携帯の通話ボタンを押そうとした時です。
ぼうっ、と目の前に青い人魂が現れました。

「うそだろ…」

声をあげようとしても、金縛りにあったかのように身体が動かないし、声も出ません。
ゆらゆらと目の前に漂う青い人魂に唖然としながら、コオロギに囲まれて逃げようにも逃げることができません。

戦没者慰霊碑に遊び半分で近寄った罰が当たったんだ。」
後悔の念が押し寄せてきます。
そのうちだんだん、反響しているかのような声も聞こえてきました。

「助けて…助けて…助けて…」

もちろん自分の声ではありません。
それは、無念を抱き亡くなった戦没者達の声だったのかもしれません。
そのまま私は意識が遠のきました。

気がつくと自分のベットの上で眠っていました。
時計を確認すると、翌日の昼過ぎになっていました。

友人達が、私が窪みに落ちているところを見つけ出して助けてくれ、自宅まで運んでくれていました。
幸い大きな怪我もなく、自宅で安静にしているうちに体調も回復していきました。

心身ともに落ち着いてきたので、友人に昨夜階段から踏み外れた事の顛末を話しました。
ところが私が落ちた窪みは石がむき出しになっていて、苔は生えていなかったと友人2人は言います。
コオロギはおろか虫もいなかったし、人魂も見ていないそうです。

ただ、助けた時の私はものすごく怯えていたとのことでした。
記憶には無いのですが
「助けて…助けて…」
と、繰り返し呟いていたそうです。

青い人魂やコオロギは、私が酔っていたから見えた幻覚だと思いたいです。

形見の制服

この話は、私が幼少期の頃に起こった出来事です。

まだ札幌が戦後の荒野から発展して間もない頃に建てられた木造長屋の家に、私たち家族は住んでいました。
私のおじいちゃんは昔、郵便局員をしておりましたが、戦時中に空襲を受けた際に亡くなったのだと聞いています。
唯一の形見は、郵便局勤めのおじいちゃんが着用していた古い制服でした。

制服と言ってもあるのは帽子とコートだけ。コートの下に着る上下の服や靴はありませんでした。
殆ど写真も残っていない時代でしたから、家族は形見である制服を捨てられずにいたのだと思います。
その制服は、家の長い廊下の途中にハンガーで掛けて置いてありました。

 

家の廊下は、当時子供だった私にとっては結構な長さがあると感じました。
廊下はL字になっていて、一番突き当りにトイレがあり、寝室はその反対側の突き当りに位置していました。
ですから、どうしても夜トイレに行きたくなったらその廊下を渡り、形見である制服の横を通ってトイレへと向かわなければなりません。

ある日の晩、家族みんなが寝室で寝ていると夜中に私だけ目を覚ましました。
昔に建てられた家ですから、色々建付けも歪んできており、寝室の襖もしっかり閉まらないような状態です。
隙間風もどこからか通り抜けており、寒さで目が覚めてしまった感じです。
一度目が覚めてしまうとどうしてもトイレへ行きたくなってしまい、仕方なく私は廊下を通ってトイレに向かいました。

夜中の廊下はいつも以上に暗く感じました。
今まであまり感じたこともなかったのですが、特に例の制服が掛かっている場所だけ妙に暗く見えた感じがします。
冷え切った廊下を恐る恐る歩き、その制服の掛かっている場所を通った瞬間、明らかに人の気配を感じました。

突然の異変に、思わず体が硬直します。
家族は全員寝室で寝ているのですから、そこに人が立っていること自体あり得ません。
ですが息遣いや鼓動まではっきりと伝わってくるように、誰かがそこにいたんです。

私は恐怖に堪えながら急いで廊下を突っ走り、奥にあるトイレに駆け込みました。
震えながらトイレの扉を閉めて用を足していると

ミシッ…ミシッ…

廊下からトイレに向かって人が歩いて来るような足音が聞こえてきます。
息を殺しながら廊下を伺うと、どうやらトイレの扉の向こう側で足音は止まりました。

恐怖で堪らない状況でしたが、ずっとトイレに籠っている訳にもいきません。
意を決した私は、トイレの扉を勢いよく開けて廊下を駆け抜け、寝室に戻りました。

不思議な事に、トイレでは確かに足音が聞こえていたのに、扉の前には誰も居ませんでした。廊下にも人はおろか、気配さえ消えていました。

一体さっきのは何だったんだろう…と思いながらも布団に入って寝ようとしたのですが、気が高ぶってしまいなかなか寝ることが出来ません。
すると、またミシミシと廊下を歩く足音が聞こえてきました。

先ほどと同様に、今度はゆっくりと寝室へ近づいて来ます。
そして足音は寝室の前でぴたりと止まり、今度はその襖の隙間から人が覗き込んでいるかのような目線を感じたのです。

私は恐怖でその襖の方向を見ることはできませんでした。
隣で寝ている両親を起こそうともしたのですが、身体が動かず声も出せません。
かろうじて頭だけは動かすことが出来たので、頭を寝室の入り口とは反対側に背け、見ないようにしてジッと堪えていました。

気づくと両親に起こされて、朝になっていました。
目を覚ますと、直ぐに両親が私へ尋ねてきました。

「廊下の制服、ぐちゃぐちゃになっているんだけれど。何でか知ってる?」

私はぞっとしました。
当然ながら、私は廊下を勢いよく走って寝室に戻った際に、掛かっていた制服を引っかけて落としてしたりはしていません。
廊下を見てみると、トイレの方向に制服用の帽子が、制服のコートは寝室側へと散乱していました。

恐怖でパニックになっていたとしても、制服を落としていれば流石に気づきます。
正直に昨晩の体験を両親に話すると、思いの外すんなりと両親は納得してくれたようで、後日制服をお寺に持っていきお焚き上げしてもらいました。

制服は私のおじいちゃんだけでなく、複数の郵便局職員が使っていた物だったそうです。
ひょっとすると、おじいちゃんだけでなく他の職員の方々の様々な思いが染みついていたのかもしれません。
制服を供養してからは、その廊下で同じ現象は2度と起こっていません。