友人の異変

私は中学生の頃にソフトテニス部へ在籍していたのですが、そこでは毎年夏休みになると合宿を開催していました。

参加は強制力があるものではなく、どちらかというと部員間の親睦を深めるようなものでした。
ですから学年の違う先輩や後輩とも仲良くなれるチャンスが多くあり、半ば修学旅行のような感覚で私も3年間参加しました。

これは忘れもしない、私が2年生の合宿で起きた事です。

 

その年は、期間中に1日だけ自由行動を許された日がありました。
当然ながら門限と節度はしっかり守る前提でしたが、同学年の仲間たちとお土産を買いに行ったりしたと記憶しています。
合宿場所が地元から少し離れた土地だったため、どこに行っても目新しさがあり楽しかったです。

そして夜。私たちはそれぞれに自由行動でどこへ行ったかという話をしていました。

ある先輩は川遊びをしたと言いますし、ある後輩は遊園地に行ったと言います。
しかしそんな中学生らしい行き先をみんなが言う中、私の友人だけは少し変わった場所へと赴いていました。

「俺は霊園に行ったよ。なんか分からんけど気が付いたら行ってた。」

こう友人が言うと、一瞬ですが場の空気が微妙になったのを覚えています。
それも当然です。何故に霊園なのか?
行った理由も本人が分かっていないと言うので、非常に不気味です。
しかしそれ以上に、この言葉を発した友人の様子が妙だったのです。
目は虚ろで、あまりしっかりとしていません。

「こいつ、こんなキャラだったっけ?」

そう尋ねてくる先輩に対して、私は首をひねる事しかできませんでした。

異変は、その後皆が寝静まってから起きました。
時間はもう日を跨ぎ、頻繁に見回っていた顧問の先生もいつしか来なくなっていました。
恐らくは、先生も眠ってしまっていたのでしょう。
ところが私は友人が霊園へ行ったという話がどうしても頭から離れず、なかなか眠れずにいました。

すると突然、その友人がスッと起き上がり、ふらっと部屋を出て行ったのです。
トイレかとも思いましたが、15分ほど経っても戻りません。
心配になった私は、怖さを抱きながら友人を探すことにしました。

かなりの時間、合宿所を探し回ったような気がします。ようやく見つけた友人は、最上階にあったテラスにいました。

友人はテラスにある手摺りから身を乗り出し、前に真っ直ぐと手を伸ばしていました。
何をしているのか分かりませんでしたが、まるで誰かに手を引っ張られているような、または誰かを手招きしているような姿に見えました。
いずれにせよ、普通ではない事だけは確かです。

まさかとは思うけど飛び降りたりしないよな…と心配しながらも、友人に近づき声をかけました。
するとその友人は振り向き

「あれ?○○じゃん、どうしたの?」

といつも通りの調子で返事をしてくれました。

私は真夜中に何故こんな所へ来たのか、友人に訊ねました。
ですが友人も分からないようで、私に声をかけられるまでの記憶がないと言います。
寝ぼけていたということにはなりましたが、何かスッキリしないモヤモヤした印象が強く残りました。

その後は友人に目立った変化も起こらず、合宿は無事に終了しました。
ですが自宅に帰ってから父親に合宿所の場所を話したとき、私の身は再び恐怖に包まれました。

「△△町ってあれだろ?有名な心霊スポットの霊園が近くにあるところ。あんな場所でよく合宿やったな。」

父が話す霊園とは、まさに友人が自由行動の時間で行った所でした。
その霊園は、かつて自殺の名所と呼ばれていた森を切り開いて得た土地に造られたものだそうです。
あまり表には出ていないですが、毎年その霊園で幽霊を見たという人が出るようで、今でも知る人ぞ知る心霊スポットになっています。

友人が霊園へ向かったり、深夜にテラスで謎の行動をとっていた出来事は、ひょっとしたら何かが憑依していたのかもと今では思います。
思い出すと怖くなるので、できれば永久に忘れ去りたい経験です。
そして私もいつかあの霊園へ引き寄せられるのではないか…という不安が、頭の隅から離れません。

捨てられない人形

私は男性なのですが、恥ずかしながら物心付いた時から小学6年生までずっと人形が大好きでした。
その人形は、まるでアメリカのアニメに出てきそうなアヒルのデザインで、随分と気に入っていた記憶があります。
確か当時は名前も付けていて、これほどまで愛着を持った人形は後にも先にもなかったです。

ところが思春期に入ると、やはり段々とそうした自分の趣味を恥ずかしく思うようになりました。
中学1年生の頃には初めて好きな女の子もでき、その子のことを考えると人形と常に一緒にいる自分が気持ち悪くなってしまったのです。

そこで処分をしようと思い立つわけなのですが、今までの人生を共に過ごしてきた大切な相棒です。抵抗感は拭えません。
こうしていつしかその人形は、部屋の片隅で捨てられないまま放置され、中途半端に存在する形となっていました。

それから数ヶ月後、私は人形の供養ができるお寺の存在を知りました。
こんな場所があるのかと、当時は驚きました。
お寺に預けてちゃんとした処分ができるのであれば、私の中の罪悪感的なものも薄れると感じ、しっかり断ち切るなら今だと考えました。
私は母に運転をお願いし、そのお寺へと行くことにしたのです。

 

道中には薄暗い山道もあり、とても徒歩や自転車で向かえる道程ではありません。
助手席で人形を握り締めながら眺める景色には、若干の怖さがあったようにも思います。

異変が起きたのは、お寺まであと数キロという場所まで来た時でした。
突然母の車がガタンガタンと揺れ始め、慌てて車外へ出てみるとパンクしていたのです。

唖然とする私達。
まさかそこから車を放置してお寺に行けるわけもなく、ロードサービスを手配している間に供養の受け付けは終わってしまいました。

この時には、単純に不運だったとしか思っていませんでした。
ところがこれを皮切りに、その後も人形を手放そうとする度に不思議な現象や、不吉な出来事が起きるようになります。

タイヤのパンクから1ヶ月後に再びお寺へ向かおうと準備をしていると、祖父が倒れたとの一報が入りました。
原因は心筋梗塞で、もう少し搬送が遅れていたら間に合わなかったでしょうとのことでした。
ちょうど私と母が自宅を出ようとしていた際に連絡があったので、結局その日もお寺に行くことはできませんでした。

3度目にお寺へ行く計画を立てている時は、なんと肝心の人形が見当たりません。
前日までは確かに部屋へ置いてあったはずなのにも関わらず、忽然と姿を消していたのです。
結局半日探し回っても見つかることはなく、またお寺に行くことを諦めざるを得ませんでした。

ところがお寺での供養を断念した途端、あっさりと私の布団の中から見つかるわけです。
つい数時間前まで家中をひっくり返したかのように探しまわり、それでも見つからなかった人形は当たり前のようにありました。
何かおかしいな、と感じ始めたのはこの時くらいからだったと思います。

結局、私は2年間の間に計8回ほどこの人形を手放そうとしました。
しかしいずれも絶妙過ぎるタイミングで何かしらが起き、その大半は私たち家族にとって良くないことだったのを覚えています。
供養は諦めて普通に捨てようとした時もありましたが、私が転倒して手の小指の骨にひびが入ったこともありました。

こう話しても信じてもらえないでしょうし、偶然だろうとも思いたいですが、私達家族にはもう人形に何かあると思えてなりません。
それくらい、深い執念のようなものを感じる出来事の連続でした。

この出来事から約20年ほど経ちますが、今もまだその人形は実家に存在しています。
もう私の部屋はないので納屋に人形はあるはずですが、恐らくは何年も手に取られていないことでしょう。
捨てられないというよりも、捨てさせないという表現の方が正しいのかもしれません。

よく「大切にしてる物には心が宿る」という話がありますが、私はこうした経験からそれは本当なのだと信じています。
皆さんも何かしら、処分なり譲渡なりを考えている人形をお持ちかもしれませんが、その際にはくれぐれもお気を付けください。

谷底のアレ

これは小学5年生の頃の話、一番恐ろしかった。これ以上の体験は、後にも先にも無い。
内容が内容だけに信じてくれない人も居るが、俺は確かに見た、と思っている。
そして見たのは俺一人じゃない。

親の後に付いて山中の獣道を歩いてた。季節は夏。周囲は夕闇が迫って来ていた。
陸自空挺レンジャー出身の親父が先導していたので、疲れはしていたけど恐怖は無かった。頼れる親父であった。

聞こえる音といえば二人の歩く音と木々のざわめき、種類は分からないが鳥の鳴き声と、谷を流れる川の音…だけだと思っていた。
何か、人の声が聞こえた気がした。でも、特に川の音などは人の声に聞こえる場合もある。最初はそれだと思っていた。
けれども、気にすれば気にするほど、人の声としか思えなくなってきた。

「とうさん…誰かの声、聞こえない?」
「……」
「誰だろ、何言ってるんだろ?」
「いいから、歩け」

言われるままに、黙々と歩いた。だが、やっぱり声が気になる…どこからしているんだろう?

周囲をキョロキョロしながら歩ていると、谷底の川で何かが動いているのが見えた。
獣道から谷底までは結構な距離がある上に、木や草も多い。
そして夕闇が迫っているので、何かが居たとしてもハッキリ見える筈は無い。
ところが、ソイツはハッキリと見えた。

獣道と谷底の川は距離があるものの、並行したような形になっている。
そして、ソイツは谷底を歩きながら、ずっと我々に付いてきていた。

「お~い、こっちに来いよぉ~!」

谷底を歩く坊主頭の男は、我々に叫んでいた。
ゲラゲラ笑いながら、同じ台詞を何度も繰り返している。
それだけでも十分異様だったが、その男の風体も奇妙だった。

着ているものが妙に古い。時代劇で農民が着ているような服だ。
顔は満面の笑顔。だが、目の位置がおかしい。頭も妙にボコボコしている。
そして、結構な速度で移動している。ゴツゴツした石や岩が多い暗い谷底を、ものともせず歩いている。

大体、こんな暗くて距離もあるのに、何故あそこまでハッキリ見えるんだろう?と言うより、白く光ってないか、あの人?
小学生の俺でも、その異様さに気付き、思わず足を止めてしまった。

「見るな、歩け!」

親父に一喝された。その声で我に返る俺。途端に、恐ろしくなった。
しかし恐がっても始まらない。後はもう、ひたすら歩くことだけに集中した。
その間も谷底からは、相変わらずゲラゲラ笑いながら呼ぶ声がしていた。

気付けば、俺と親父は獣道を出て、車両が通れる程の広い道に出ていた。
もう、声は聞こえなくなっていた。
帰りの車中、親父は例の男について話してくれた。話してくれたと言っても、一方的に喋ってた感じだったけれど。

「7,8年位前まで、アレは何度か出ていた。でも、それからはずっと見なかったから、もう大丈夫だと思っていた。お前も見ると思わなかった」
「呼ぶだけで特に悪さはしないし、無視してれば何も起きない。ただ、言う事を聞いて谷底に降りたら、どうなるか分らない」
「成仏を願ってくれる身内も、帰る家や墓も無くて寂しいから、ああして来る人を呼んでるんだろう」

大体、こんな感じの内容だったと思う。
その後も、その付近には何度か行ったけれど、その男には会ってない。
今度こそ成仏したんだろうか?

スイカ

秋になると登山シーズンです。
よく墜落が登山シーズンには起きるそうです。
そのご遺体は頭が割れている為スイカと呼ばれるそうです。
しかし秋に墜落事故をして逝かれても、ご遺体は雪のため春まで放置されるようなのです。
中には発見されることなく、忘れ去られているご遺体もあるそうです。
万年雪の中にもあるときがときたまあるようなのですが・・・

その登山シーズンの秋、登山部では
「スイカを見たら振り向くな。振り向いたら自分もスイカになる。」
ということがよく言われるそうです。
そしてこれは実際に体験した方の話なのですが・・・

山の尾根を歩いていると向こうから数人の集団が歩いてきました。
先頭の人間が「スイカだ!」と叫んだそうで、皆がその集団に向かって会釈をしました。
大学のサークルの1年だったその方は訳も分からず会釈をしました。
会釈をし終わってその集団が横を通り抜けようとすると、頭がクシャクシャに潰れていたそうです。
驚いたその方は慌てて振り向こうとしましたが、後ろの先輩が
「振り向くな!」
と大声で怒鳴るので何かあると感じたその方は興味を抑えて無事に山頂の宿舎にたどり着けました。
その方はスイカのことについては後から聞いたようです。もしもあのまま振り返っていたら・・・

前後を登山経験者の長い方で真ん中を経験の浅い方という並び方で登るのは、スイカのためでもあるようです。
先頭の方がスイカであることを知らせ、最後尾の方が振り向かないように監視をする為に。

雑居ビルの怪

今からもう14年くらい前の中学2年の時の話です。
日曜日に仲の良い友人達と3人で映画を観に行こうという話になりました。
友人達を仮にAとBとします。

私の住んでる町は小さくて映画がある町まで出るということは、田舎の中学生の私達にとって大きなイベントでした。
土曜の夜、うきうきしながら家にいるとBから電話がありました。
「ごめん、明日バイオリンのレッスンがあったんだった。ちょうど映画が終わるくらいの時間にレッスンも終わるから○○町(映画館がある町の名前)の駅の改札あたりで待ち合わせしよう」
という内容でした。
Bは結構なおぼっちゃんだったのでバイオリンを習っていたのです。

3人そろって楽しく大きな町で映画を観られると思っていたので少しがっかりしましたが、映画の後に3人そろって遊べばいいやと気を取り直してその日は床につきました。

そんなわけで翌日、僕とA、二人で映画を観に行きました。
映画を観終わって二人で「面白かったねー」と話しながら駅に向かおうとした時、Aが「ねえねえ、このビルの3階まで上れば駅へ続く歩道橋があるよ」と言いました。

そこは大きな町だったので、駅前から複数のデパート等へと続く歩道橋が3階くらいの高さで広がっていました。
私も信号に捕まりながら歩くよりはいいなと思い、映画館の横にあるビルに入りました。

そのビルは小さな雑貨店がたくさん入っている雑居ビルでした。
私達は階段を見つけ、1階から上って行きました。
3階までつくと、店側に入る扉がありませんでした。
きっとそのフロアは倉庫か何かになってて、この階段からは一般の人が入れないようになってるのだと思い、私が
「やっぱり1階に戻って、普通に歩いて行こうか」
と言うとAは
「いや上ってみよう。4階からお店側に入れるかもしれないから、そしたら別の階段から3階に降りればいいよ」
と言いました。

しかし4階に上っても扉はありませんでした。
さらに5階へと進みました。しかし扉はありません。
だんだん私達も意地になって、どんどん階段を上って行きました。

10階位まで上ったでしょうか。私は少しおかしなことに気づきました。
外からこのビルを見たときは10階もなかったような気がしたのです。
しかしAは「もっと行くぞ」と張り切って進んで行きます。

私達は階段をどんどん上って行きました。20階くらいまで来て、私は完全におかしいと思いました。階段も何故か、古くさく、じめじめした感じになっていました。
ゲームのバイオハザードに出てくる、苔むした嫌な階段みたいな感じです。

私はこの時点でかなり怖くなっていたのでAに向かって
「ねえ、もう引き返そうよ。絶対変だよ、これ」
と言うと先を行くAは私に背中を向けたまま
「ハハハ、変だね」
と言います。
何をふざけてるんだと少し、気分を悪くした私は
「何笑ってんだよ!帰ろうって言ってるんだよ!」
と少し語気を荒めました。
するとAはまた
「ハハハ、変だね」
と言います。
私はそのAの言葉にさらにムッとしましたが、階段を上っていくAの姿が少しおかしいことに気づきました。

姿形はもちろんAなのですが、動作の一つ一つがおかしいのです。
確かに階段を上がる動作なのですが、何かこう、人間が人形を手で 動かしているような、ぎこちない動きでした。
右手、左手、右足、左足、それぞれが独立して動いているような、ともかく変な動きでした。

私は足がすくんでその場で立ち止まりました。
するとAが立ち止まりクルッと私の方へ振り返りました。

「ハハハハハハハハハ変だね、変だね、ハハハハハハハ」

と笑うAの顔を見て私は叫び声をあげました。
動作と同じく、顔の表情もぎこちなく、笑うAの顔。
何より、白目が無くなって眼球いっぱいに広がった黒眼が私に叫び声をあげさせました。

私は踵を返し、全速力で階段を駆け下りました。途中足がもつれて転びそうになりましたが、それでも無我夢中で駆けました。
気づくと雑居ビルの一階にある薬屋さんにいました。どうやって階段から出たか、その時の記憶はないのですが、パニックになってた私は後ろを振り返らずに駅まで走りました。

駅の改札につくと、Bが待ってました。
Bは
「遅い。映画が終わってから1時間も経ってるぞ」
と怒っていましたが、Aがいないのに気づくと
「Aはどうした?」
と聞いてきました。
私はこのまま外にいるとAが後ろからあの奇妙な動きで追ってくるような恐怖に襲われ、とりあえずBを促して駅に中にあるファーストフード店に入りました。

とりあえず私は起こったことをBに話しました。
うまく整理できずに話したので途中Bに「もう一度詳しく話せ」と何度も言われました。
最初はBは私がからかっていると思っているような態度でしたが、だんだんと真剣な顔つきになってきました。
というのはBは霊感が少しあるやつで、私達に起きたことが尋常では無いとピンと来たようです。

Bは
「とりあえずそのビルに行ってみよう」
と言いました。

私は嫌だと言いましたが「Aをほっとけないだろ」という言葉を聞いて
「確かにそうだ。Aは何かに憑かれたのかもしれない」
と思い件のビルまで行きました。

先刻と同じように階段を上ってみると3階にはCD屋さんへと続く扉がありました。
4階に上ってみるとゲームセンターになってて、そこも普通に入れました。
階段はそこで終わり。4階建てのビルでした。

私達は首を横にひねりましたが、その日はとりあえず家に帰ることにしました。
明日、もしかしたらAは普通に学校に来るかもしれないと思ったからです。

次の日、登校するとAは来ていませんでした。
私より10分ほどあとに来たBが顔を青くしながら今朝変な夢を見たと言いました。
その内容とは、Aが森の中を泣きながら裸足で歩いており、しきりに「悔しい悔しい」と呟いているというものでした。
Bはあれは単なる夢じゃないと言いました。でもどうしていいか分からないとBは言いました。

それから数日経ってもAは帰って来ず、捜索願いが出されました。
私とBも警察まで行って、その日のことを聞かれましたが、あの不思議なことは話しませんでした。

それから1ヶ月後くらいでしたか、Aが発見されました。それも死体で。

これは直接家族の方に聞いたわけではないのですが、何故か私の住んでる町から100キロ以上離れている隣県の山の中にある神社の境内の横で、カラッカラに干涸びて死んでいたそうです。
しかも死後1ヶ月は経っていたそうです。

当時はAが死んでとてつもなく不快な体験でしたが、日が経つにつれて忘れて行きました。この間Bに何年かぶりに会って「あれ何だったんだろう」という話になって思い出した体験談です。

一家全滅した話

俺が小学生の頃、自宅に新興宗教の勧誘が来た。
最初母がやんわり追い返していたんだけど、三日に一度はうちに来て、母にしつこく入信を勧めてたんだ。
母はあまり気が強いタイプじゃなかったから、なんとなく話を聞いて、ごめんなさいまた今度…という感じで帰ってもらってた。

勧誘があんまりにも頻繁になってきたので、ある日父がちょっと強めに追い返した。
すると勧誘のおばさんは
「そんな強く言ってもだめ、あなたたちがこちらにくるのは運命なんだから」
と言って帰っていった。
父は念の為、と警察に相談し、その日から近所の駐在のおまわりさんが巡回してくれることになった。
そして一週間後に母は失踪。

失踪している間に例の勧誘おばさんがまた来た。
「ほらね。言ったとおりでしょ!あなた達が信心してくれればお母さんは帰ってくるのよ」
その時自宅には俺と姉と弟しか居なかったから怖かった。
おばさんは「今度はお父さんが居る時に来るから」と言って帰っていった。

おばさんが帰った後に姉が急いで父に電話した。
父はすぐ帰る、と言って電話を切った。
俺は泣いてる弟をなだめながら(お母さん早く返ってきてほしいな)と思った。しかし結局母は帰って来なかった。
姉は学校の先生に連絡をして、今こういう状態なのでしばらく学校を休ませて欲しいと伝え、それからは駐在のおまわりさん、それから先生が度々自宅に来てくれるようになった。
父は会社でもわりと上の方の役職についていたのだが、決算期と重なってしまって、休むわけにはいかないということだった。
俺は中学生だったので、部活もやっていたのだが、状況が状況なのでホームルームが終わったらすぐ帰ることにしてた。先生も心配してくれてた。
そしてしばらく俺、弟、姉だけの生活が続いた。時々姉の担任の先生も一緒に食事をしてくれてた。
心強かった。

それから暫くは勧誘のおばさんも来ることが無かったので平和だった。
依然母親の足取りはつかめなかった。失踪届もけっこう前に出していたが、進展はなかった。
警察のひともちょくちょくやってきて状況を聞かれたけど、母からの連絡もなかったのでいよいよ手詰まりだった。
俺達は、考えたくも無かったが、チラホラと母はも帰ってこないだろうな、と思ってた。

俺の運動会があった。
弟、姉、父が来てくれて、久しぶりに楽しかった。
家族でレッドロブスターなるファミレスでちょっと豪華なご飯を食べ、帰宅。
玄関の鍵が開けられていた。そして玄関から仏間に向かって足跡がたくさん残されていた。
泥棒!と父が叫んだ。しかし結果的に泥棒じゃなかった。
仏間の仏壇が閉じられていて、青いガムテープで封鎖されていた。

姉がヒイイイイイイイ!と叫んでガクガク震えていた。弟もギャンギャン泣いた。
とても異様だった。父も呆然としていた。
俺達はまだ屋内に誰か居るんじゃないか、ということで一箇所に固まり、父は警察に電話した(携帯が無い時代です)
近所のおまわりさんがまず来て、その後警官が何人か来た。
父が実況見分?に立会い、俺達は貧血でふらふらの姉を自室に運び、そのまま三人でぼろぼろ泣いた。

結局なにも取られなかった。空き巣の犯行ということになったが、例の勧誘おばさんのことは警察も知っているので、近所の聞き取りなど熱心にやってくれた。
そして俺の運動会の日、自宅前に黒いハイエースがしばらく止まっていたらしい、ということがわかった。

その一ヶ月後、自宅から遠く離れた県外で、母が死んでいるのが見つかった。

母が死んでたのは群馬の山中。首吊りだった。しかし手を後ろで縛られていた。なぜかゆるく縛られていて、はずそうと思ったら外せるゆるさだったらしい。
俺はその辺のことをあまり覚えていない。あとから父に聞いた。
警察は自殺ではなく他殺とみて捜査を始めた。しかし手がかりになるものは何一つなかった。
母が失踪してたしか1年近く、どこにいたのか、どのように生活していたのかはまるで謎だった。

捜査になんの進展もないまま、今度は姉が襲われた。
姉が買い物の帰りの最中に強姦された。ぼっこぼこにぶん殴られて、レイプされている最中に通行人に助けてもらった。
犯人は知恵遅れの男性。この男の親が目を離している最中に姉に襲いかかった。
人の目のある場所からトイレに引きずり込み、なぜ誰も止められなかったの、俺は未だにその辺を歩いていた一般人を恨む気持ちはある。
仕方のない事とわかっているけど、どうしても許せない。
姉は気丈にも立ち直ったように生活していた。でもダメだった。
俺が学校から帰ったら自室で睡眠薬を大量に飲んで黄色いアブクを吐いていた。俺はその光景が未だに忘れられない。
姉は即入院し、それから再度自殺した。

姉の葬儀が終わってから父は会社をやめた。会社は父に結構な額の退職金を支払ってくれた。
父は日中ボーゼンとしていた。俺や弟が半仕掛けてもうん…うん…しか言わなかった。
近所のおばさんたちもすごく協力してくれて、夕ごはんをくれたりした。

あるとき俺が学校から帰ると、父が仏壇の前で突っ伏していた。酒を飲んでいるようだった。
俺はすごく悲しくなってしまって、父の背中にしがみついて泣いた。おんおん泣いた。
俺はあまり泣いたりするような子どもではなかったので、すこし父が驚いていた。そしてごめんなあ、ごめんなあ、といって一緒に泣いた。
警察からの捜査の進展に関する話しなどもなかった。

俺は高校に入学した。弟は中学生になった。
父は自分の前職での技能を生かし、在宅で仕事を始めた。仕事は前の会社がたくさんくれた。
家の家事は全部自分がやった。弟には勉強をして欲しかった。部活をして欲しかった。そのへんの中学生と同じような生活をして欲しかった。
しかしそうはいかなかった。

弟は学校帰りに車に轢かれて死んだ。車と壁に挟まれて死んだ。
運転手は若い男で、最初は脇見運転だったと供述していたが、後に大金をつまれて頼まれた、と自白した。

そうしてその男に依頼した女、例の勧誘おばさんにたどり着く。
勧誘おばさんは逮捕された。理由はあたしの言うことを聞かなかった一家が憎い、との事だった。
しかし不審な点がいくつもあった。

まずその勧誘おばさんはすでにある宗教に入っているわけではなかった。
つまり、一人で、自分の作った宗教の勧誘を行なっていた。うちに空き巣を働いたのもこのおばさん。
となると話がこじれてくる。大量の足跡はおばさん以外に誰が。
おばさんは警察の尋問をのらりくらりとかわし、この話の真相を語らなかった。
身分を証明するものを何一つ持っていなかった。背景は何もわからなかった。ただ金を沢山持っているが、その資金の元もわからなかった。

なにもわからなかったんだよ。無念だった。怒りしか無かった。
おばさんは拘留期間中に死んだ。心筋梗塞だったらしい。

父は引越しを提案した。俺もそうしたいと思った。家には楽しい思い出よりも、悲しい思い出のほうが圧倒的に多かったから。事件が事件だから、もし近所の人にも迷惑がかかったら申し訳ない。
俺と父さんは引越しの準備、そもそも家には必要最小限のものしかなかったけど、ちょくちょく進めた。
そして引越しを次の週に控えた木曜日の夜、俺と父さんは近所の銭湯に行った。
暖かかった。そしてすこしだけ嬉しかった。父さんも久しぶりに笑った。
ふたりで一緒に帰っている途中、サイレンの音が自宅方向から聞こえてきた。
自宅が炎上していた。

俺は何も言えなかった。
父さんも放心状態だった。燃える我が家を見つめ、あ…家が…あ…と呟いていた。
父さんの目にごうごうとした炎が写っていたんだよ。

放火だった。燃えカスの中に、建材に灯油かなんかを浸したもの、というのが見つかったらしい。犯人は捕まらなかった。
近所の家にも被害が出た。父さんは土下座をしていた。でも被害が出た家のおばさんは、俺のことをギュッと抱きしめて泣いてくれたんだよ。

俺達は引っ越した。
引っ越した先で父はおかしくなってしまった。
自宅で仕事をしていると、まだ元気だったころの母さんと姉ちゃん、弟がふつうに部屋にいるらしい。
そして昔のように「お父さん、またオナラしたでしょ~」とか「ねえねえ、来週鴨川シーワールド行きたいね」とか、話しかけてくるみたいだった。
俺も実はちょくちょく見ていた。見ていたけど、これは幻覚だ幻覚だ…と思い込むようにし、徹底的に無視していた。

でもある時、俺と父さんと二人で晩飯を食っている時に、台所から
「あ、醤油切れちゃった」
という母さんの声を聞いてしまった。父と目があった。聞いたようだった。

父さんは「はっはっは!はっはっはっは!母さん!今買ってくるわ!」と言って、一瞬真顔になり、俺の首を締めた。
すぐ正気に戻り、「ああ!ああ!俺はなんてことを!」そう言ってベランダに向かい、そのまま飛び降りたんだ。

こうして父も死んだ。俺が残った。
俺は父さんの兄に引き取られて、高校を卒業し、都内に就職して一人暮らしを始めた。
それから結構な年月経ってしまった。

俺は今年32結婚もせずにまだ一人でいる。俺の部屋にはたびたび家族がいる。なつかしい昔の姿で、生活している。
悲しいのは、みんな当時の年齢そのままなんだ。
病院も行った。精神的に不安定と言われた。薬も貰ったが姉の自殺した時の光景が忘れられなくてあまり飲めないでいる。

この話はこれで終わりです。
一家全滅、というのは俺がもう限界だからです。自殺しようとは思っていないけど、あのババアの呪いというか、そういったものがあるようなきがして、いつかサクッと死ぬんじゃないかって。
俺がびっぷらに書いたのは、俺と、俺の家族が昔千葉県に存在していたことをずっと記しておきたいからです。

地下の穴

これは17年前の高校3年の冬の出来事です。
あまりに多くの記憶が失われている中で、この17年間、わずかに残った記憶を頼りに残し続けてきたメモを読みながら書いたので、細かい部分や会話などは勝手に補足や修正をしていますが、できるだけ誇張はせずに書いていきます。

私の住んでいた故郷はすごく田舎でした。
思い出す限り、たんぼや山に囲まれた地域で、遊ぶ場所といえば、原つきバイクを1時間ほど飛ばして市街に出て、カラオケくらいしかなかったように思います。

そんな片田舎の地域に1991年突如、某新興宗教施設が建設されたのです。
建設予定計画の段階で地元住民の猛反発が起こり、私の親もたびたび反対集会に出席していたような気がします。
市長や県知事に嘆願書を提出したり、地元メディアに訴えかけようとしたらしいのですが、宗教団体側が「ある条件」を提示し、建設が強行されたそうです。
条件については地元でも様々な憶測や噂が飛び交いましたが、おそらく過疎化が進む市に多額の寄付金を寄与する事で、自治体が住民の声を見て見ぬふりをした、という説が濃厚でした。

宗教施設は私たちが住んでいる地域の端に建てられましたが、その敷地面積は、東京ドームに換算すると2~3個ぶん程度の広さだったと思います。過疎化が進む片田舎の土地は安かったのでしょう。
高校2年の秋頃に施設が完成し、親や学校の担任からは「あそこには近づくな」「あそこの信者には関わるな」と言われていました。

私たちはクラスの同級生8人くらいで見に行ったのですが、周りがすべて高い壁で囲われ、正面には巨大な門があり、門の両端の上の部分に、恐ろしい顔をした般若みたいなものが彫られていました。
それを見た同級生たちは、「やばい!悪魔教じゃ悪魔教じゃ」と楽しそうに騒いでいましたが、そういう経緯から、学校ではあの宗教を、『悪魔教』や『般若団体』などと、わけのわからないアダ名で呼ぶようになりました。

たまにヒマな時などは、同級生ら数人で好奇心と興味と暇潰しに、施設周辺を自転車でグルグルしていましたが、不思議な事に、信者や関係者を見た事は一度もありませんでした。
あまりに人の気配がなく、特に問題も起きなかったので、しだいに皆の関心も薄れていきました。

高校3年になり、宗教施設の事は話題にもならなくなっていたのですが、ある日、同級生のAが「あそこに肝だめしに行かんか」と言いはじめました。
Aが言うには
「親から聞いたけど、悪魔教の建物に可愛い女が出入りしとるらしい。毎日店に買い物に来とるらしいで」
Aの実家は、地域内で唯一そこそこ大きいスーパーを経営していました。Aの両親は、毎日2万円~3万円ぶんも買い物をしていく『悪魔教』に、すっかり感謝しているようでした。
Aは「俺の親は、あそこの信者はおとなしくて良い人ばかりって言いよったよ。怖くないし、行ってみようや。」
私やその他の同級生も、遊ぶ場所がなく毎日退屈していましたので、「じゃあ行くか!」という事になり、肝だめしが決定しました。

メンバーは、私とAとBとCとD(同じクラスの5人)と、後輩のEとFの、全員男の7人になりました。
7人もいれば怖くないでしょう。皆も軽い気持ちで行く雰囲気でした。
待ち合わせは施設にほど近い、廃郵便局の前になりました。
私が到着すると、ABCとEは来ていたのですが、DとFが30分近く待っても来なかったので、5人で行く事になりました。
施設の近くに自転車を停車させ、徒歩で施設の門へ。
「うわ~夜中はやっぱ怖いわ」や、「懐中電灯をもう一つ持ってくりゃ良かったね」
などと話していました。

巨大な門の前まで来ると、門からかなり離れた敷地内の建物の一ヶ所に電気がついていました。
「うわぁ信者まだ起きとんじゃね」「悪魔呼んだりしとんかね(笑)」
などと軽口を叩いていましたが、Cが
「これ、中に入れんじゃん」
と言いました。
するとAが
「俺が知っとるよ。横を曲がったとこに小さい門があってそっから入れる」
と言いました。
「A、なんで早く言わんのんや」とか言いながら、壁づたいを歩き、突き当たりを横に曲がり、少し歩くと壁に小さな扉がありました。Aが手で押すと、向こう側に開きました。
人ひとりようやく通れる扉を、5人で順番に通って中に侵入しました。

その後は懐中電灯をつけたり消したりしながら、更地の敷地内をグルグルしていました。
「なんもないじゃん」「建物に近づいたらさすがにヤバイよの」など、小さな声で雑談していたのですが、あまりにも何もなくつまらないので、施設に近付いてみる事にしたんです。
敷地内は正面の門からは長々とした100メートルくらいの完全な更地で、その先に大きな施設が三棟並んでいました。

よく覚えていませんが、とても奇妙な外観をしたデザインの建物でした。
施設周辺をコソコソ歩いていると、施設と施設の間に灯りのついたキレイな公衆トイレの建物がぽつんとあり、トイレがある場所一帯は白いキレイなコンクリートで舗装されていて、ベンチまでありました。
Aが「ちょっと休憩しようや」と言い出し、周りの同級生らは「はぁ?見つかったらさすがにヤバイだろ」「さっさと一周して帰ろうや」と言いました。
私も、「見つかったら警察呼ばれるかもしれんし、卒業まであと少しじゃし、問題起こしたらヤバイ、はよう帰ろうや」と言いました。
しかし、Aはベンチに座ると煙草を吸い始めました。
「じゃ一服だけして帰るか」という事で、全員でその場に座って煙草を吸いました。
すると、Aが「俺ちょっとトイレ行ってくるわ」と、その公衆トイレの中に入っていきました。BやCは
「アイツ勝手に入った建物のトイレでよくションベンなんか出せるなぁ」「ウ○コなら悪魔に呪われるんじゃないか」
とか冗談を言いながら煙草を吸っていたんですが、しばらくするとAが、トイレの中から
「お~い。ちょっと来て。面白いもんがあるよ」
と小さな声で言いました。

ゾロゾロと行ってみると、Aは「ほら、ここなんだと思う?」と便所の個室を指さしました。
Bが「トイレじゃん」と言うと、「ドア開けてみてや」と言い、Bが「なんや」と言いながら扉を開けました。
扉を開けてみると、なぜか中には地下に降りる階段がありました。
Aは「おかしいじゃろ。便器便器と並んで、ここだけ階段なんよ」と言いました。

いよいよこの状況がおかしな事に気づきました。第一、Aの言動がずっと不可解でした。
Aが急に肝だめしを提案した事、横の扉の位置を把握していた事、トイレの扉をわざわざ開いた事などです。
私はAに、「お前まさかココでウ○コするつもりだったん?」と聞きました。
Aは「いや、うん、そうじゃ」と曖昧に答えた後、「ちょっと降りてみんか?」と皆に聞き始めました。私は当然断りました。

「お前おかしな事言うなや。はよ帰ろう。ここでグズグズしよったら見つかるじゃろ」
と言うと
「はは~お前怖いんじゃろ?ちょっと降りるだけなのに怖いんじゃろ」
と馬鹿にした感じで言い出しました。
私はこれはAの挑発だと思いました。下に誘導しようとしているとしか思えなかったのです。
Bも「ワシもいかんわ。帰ろうで」と言ってくれたのですが、他の二人は「なんか面白そう。ちょっとだけ降りようか」みたいな感じでAに同調したのです。
Aは「お前らは勇気あるの~」とか言いながら、私やBを更に挑発していましたが、Bは「ワシ行かんで。勝手に行けや」と吐き捨てるように言いました。
Aは「ならまず3人で降りるわ。お前らはとりあえずココで待っといてや」と言いました。
そして3人は下へと降りて行ったのです。

私とBの二人はトイレの外には出ず、中で待っていました。
トイレの周辺は施設に挟まれた形で、窓も多数あったため、どこの窓から見つかるか分からないと思い、トイレ内で待機していました。
Bは「おい、Aってなんか変じゃないか?」と聞いてきました。
私は「今日のAはおかしい。なんか最初っから俺らをココに連れてきたみたいな感じがする」と答えると、Bも「ワシもそう思いよった」と言いました。
その後はBと一緒に、今夜の事や見つかってしまった時の対処法などを話していました。

5分近く経った頃、「ちょっと遅くないか?!」と私もBもイライラし始めました。
Bは「もう二人で帰るか」と言い出したのですが、二つあった懐中電灯のうち、二つともAたちが持って降りてしまったので、暗闇の中あの小さな横の扉を発見するのは時間がかかると判断し、しぶしぶ待っていました。
すると、遠くのほうから足音が聞こえてきたんです。

ザッザッザッという、複数の足音が遠くから聞こえてきました。
私もBも一瞬で緊張しました。
私たちは小声で、「ヤバイ…人がきた。マズイで…」と囁きあいました。
場が張りつめた雰囲気に変わりました。
足音は遠くからでしたが、どの方角からの足音か分からなかったですし、いま外に出ても私たちは施設内の方向や構造が分からないので、見つかってしまう可能性がありました。
Bが「ヤバイ…近づいて来とるで…どうする?」と、かなり慌てた感じで言っていました。
私も内心は心臓がバクバクしながら、「コッチに来るとは限らんし、来そうなら隠れよう」と言いました。
しかし、確実に足音は私たちのいるトイレに近づいてきていました。

その時、Bがいきなり階段ではない他の大便の個室の扉に手をかけました。しかし開きません。隣の個室もなぜか開きませんでした。
Bは「クソッ!閉まっとる。あ~クソッ」と小さな声で叫びました。
足音はおそらく15mくらいまで近づいてきています。
直感的ですが、私はその時、足音の連中は間違いなくトイレに来ると確信していました。Bもきっと同じ予感がしていたのだと思います。
私もBもジッと立ち尽したままでした。

Bは「…仕方ないわ。降りよう」と言い出しました。
私は「えっマジで…?」と返事をしました。
あの得体の知れない階段を降りるのはすごく嫌でしたが、トイレ内にはもはや隠れる場所もなく、走り出したところで、暗闇の中でしかも場所がよく分からないので、捕まるだろうと思いました。
深夜の宗教施設という特殊な状況下で、判断力も鈍っていたのかもしれません。

足音がもうすぐトイレ付近に差しかかる中、私とBは個室の扉を開き、足音を忍ばせながら下への階段を降りました。

階段はコンクリート造りの階段で、長い階段なのかと思っていましたが、意外にも10段くらいで下に着きました。
真っ暗闇なので何も見えないのですが、前を歩いていたBが、降りた突き当たりの目の前にあったのだろう扉を開きました。

中には部屋がありました。
部屋の天井にはオレンジ色の豆電球がいくつかぶら下がり、部屋全体は淡いオレンジ色に包まれていました。
私とBはその部屋に入ると、扉をそっと静かに閉めました。

部屋を見渡すと、15畳くらい(よく覚えていません)の何もないコンクリート造りの部屋で、真ん中には大きく円状のものがぶら下がっていました。
説明しにくいですが、巨大な鉄製のフラフープみたいなものが縦にぶら下がっている感じです。
そのフラフープは、部屋の両隅の壁に付くくらい巨大なものでした。
私とBはそんなのを気にせずに、扉の前で硬直していましたが、私が
「Aたちは?おらんじゃん…」
と小さな声で言うと、Bは
「わからん、わからん…」
と、ひきつった表情で言っていました。
そして、私たちが聞いていた足音が、予感通りトイレの中に入ってきたのが分かりました。真上から足音がコンクリートを伝って響いてきました。
その足音は3人~4人くらい。私たちはジッと動けないまま、扉の前で立ち尽していました。
なにやらブツブツ話し声が聞こえてきましたが、内容まで聞きとれません。
話し合うような声に聞こえましたし、それぞれがなにかをブツブツ呟いているようにも聞こえました。
Bは下をうつむいたまま目を閉じていました。

どのくらい時間が経ったのか分かりません。
私はなにか楽しい事を思い出そうとして、当時流行っていたお笑い番組『爆SHOW☆プレステージ』を必死に思い出していました。
いつのまにかトイレ内のブツブツ呟く声は、3~4人から10人くらいに増えている事に気づきました。

上にいる連中は、私たちがココに隠れている事を知っているのではと思いました。
怖くてガタガタ震えてきました。ブツブツブツブツと気味の悪い話し声に気が遠くなりそうでした。

突然ブツブツ呟く声が消えると、ガタンッと扉が二つ連続して開く音が聞こえた後、さらにガタンッと音がしました。
そのガタンッはトイレの個室を開く音だとすぐに分かり、鳥肌が立ちました。
『他の個室には最初から人が入っていたんじゃないか』
私と同じようにBがその可能性に気づいたのかどうかは分かりませんが、さっきは鍵が閉まっていたのですから、外から開けたのではなく、個室から誰かが出てきたんだと思ったのです。
そして、階段を降りる足音が聞こえてきました。限界でした。

階段を降りきるまで15秒とかからないでしょう。私はBの腕をギュッと掴みました。
階段を降りる足音が中間地点くらいになった時、Bは「うわぁぁぁ~」と情けない悲鳴をあげながら私の手を振り払い、部屋の奥に走り出しました。

その時です。Bがあの丸い輪をピョンとジャンプした瞬間、一瞬でBの姿がなくなったのです。

私はただただ唖然としました。

フラフープ状の丸い輪の向こう側に飛び越えるはずなのに、Bが忽然と姿を消してしまった事に、恐怖よりも放心状態になりました。
私は扉から少し離れ、扉とフラフープの間に立っていました。
『謝ろう!』と思いました。
『すみません。勝手に入ってしまいました。本当にすみません』
そう言おうと思いました。
扉がゆっくり開きました。開いた扉の隙間から、わざとらしくひょいっと顔だけが現れました。
王冠のようなものをかぶった老人が、顔だけ覗かせこちらを見ていました。満面の笑みでした。
おじいさんかおばあさんかは分かりませんでしたが、長い白髪に王冠をかぶったしわくちゃの老人が、満面の笑みで私を見ていました。
それは見た事もない悪意に満ちた笑顔で、私は一目見て『これはまともな人間ではない』と思いました。
話が通じる相手ではないと思ったのです。
その老人の無機質な笑顔に一瞬でも見られたくないと思い、「はうひゃっ!」と情けない悲鳴が喉の奥から勝手に出てきて、私もまたBと同じようにフラフープ状の輪に飛びこみました。

目を開くと病室にいました。頭がボーッとしていました。
腕には注射針が刺さり、私は仰向けに寝ていました。
上半身を起きあがらせるのに3分近くかかりました。

窓を見ると綺麗な夕焼けでした。
部屋には人はおらず、個室の病室でした。何も考えられずただボーッとしていました。

どのくらいの時間ボーッとしていたか分かりません。
しばらくすると、ガチャとドアが開き看護婦さんが現れました。
看護婦さんはかなり驚いた表情で目を見開くと、そのままどこかに駆け出しました。
私はそれでもボーッとしていました。

その後は担当医や他の医師たち数人が来て、私に何かを話しかけているようでしたが、私はボーッとしたままだったらしいです。
その後時間が経ち、意識もだんだんと鮮明になってきました。
医師からは
「さっき○○君の家族呼んだからね。○○君は長い時間寝ていたんだよ。でも心配しなくていい。もう大丈夫だよ」
と、意味不明な事を言われました。
起きてからも時間の感覚がよく分からなかったのですが、やがて母らしき人と若い女の子が、泣きながら病室に入ってきました。

それは母ではありませんでした。それに私の名前は○○でもありません。
母を名乗る女性は「よかった…よかった」と泣いて喜んでいました。
若い女の子は私に「お兄ちゃん、おかえり…」と言いながら、泣き崩れてしまいました。
しかし、私に妹はいません。
3つ離れた大学生の兄ならいましたが、妹などいません。

私は「誰ですか?誰ですか?」と何度も聞きました。
医師は「後遺症でしょうが時間が経てば大丈夫だと…」みたいな事を、母らしき女性や妹らしき女の子に励ますように言っていました。
「今夜は母さんずっといるからね」
と言われました。

私は寝たままいろいろ検査を受け、その際医師に
「僕は○○でもないし、母も違うし妹もいません」
と言いました。
しかし医師は「う~ん…記憶にちょっと…う~ん…」と首を傾げていました。

「○○君はね、二年近く寝たきりだったんだよ。だから記憶がまだ完全ではないんだと思うよ」
と言われました。
そう言われても、私はショックな感情すらありませんでした。
現実にいま起きている事が飲み込めなかったので、ショックを受ける事さえできなかったのです。

医師は言葉を選びながら、私を必死に励ましていました。
母らしき人は、記憶喪失にショックを受けて号泣していました。
私は「トイレに行く」とトイレに行きました。
立ち上がる際に足が異常に重く、なかなか立ち上がれずにいると、医師や看護婦や妹らしき人が手伝ってくれました。

トイレに行くと、初めてあの夜の事を思い出しました。
不思議ですが、目覚めてからの数時間、一度もあの肝だめしの事は思い出さずにいました。
トイレがすごく怖かったのですが、肩をかしてくれた医師や付いてきた母や妹がいたので中に入りました。
用を足したあと、鏡を見て悲鳴をあげました。
顔が私ではありませんでした。まったくの別人でした。
覚えていないのですが、その時私は激しいパニックを起こしたらしく、大変だったらしいです。
その後は一ヶ月近く入院しました。

私は両親と名乗る男女や、妹を名乗る女の子や、見舞いに来た自称友達や、自称担任の先生だったという男性らに
「僕は○○じゃないし、あなたを知らない」
と言い続けました。
AやBの事や、自分の過去や記憶を覚えている範囲で話し続けましたが、すべて記憶障害、記憶喪失で片付けられました。
Aなど存在しない、Bもいない、そんな人間は存在しないと説得されました。
しかし、みんな私にとても優しく接してくれました。

医師や周りの話だと、私は学校帰りに自転車のそばで倒れているところを通行人に発見され、そのまま病室に担ぎ込まれたそうです。
私に入ってくるこの世界の情報は、どれも聞いた事がないものばかりでした。
例えば、「ここは神奈川県だよ」と言われた時は、私は神奈川県など知らないし、そんな県はなかったはずでした。
通貨単位も円など聞いた事もない。東京など知らない。日本など知らない…という感じです。
そのつど医師からは、「じゃあ、なんだったの?」と聞かれるのですが、どうしても思い出せないのです。
Aの名前も思い出せず、「同級生の友達」と何度も説明しましたが、周りからは「そんな子はいないよ」と言われました。
あの施設に入り、あのフラフープに入った話を医師に何度も必死に説明しましたが、「それは眠っていた時の夢なんだよ」という感じで流され続けました。

しかし、恐ろしい事に私自身
『自分は記憶喪失なんだ。前の人生や世界は全部寝ていた時の夢だったんだ』
と真剣に思い始めていたのです。
『記憶喪失な上に、別人格・別世界の記憶が上書きされている』
と信じはじめていたのです。

どちらにせよ私には、別人としての人生を生きていく事しか選択肢はありませんでした。
退院後に父や母や妹に連れられ自宅に戻りました。

「思い出せない?」と両親から聞かれましたが、それは初めて見る家に初めて見る街並みでした。
私はカウンセリングに通いながら、必死にこの新しい人生に順応しようと思いました。
私に入ってくる単語や情報には、違和感のあるものとないものに分かれました。
都道府県名や国名はどれも初めて聞いたものばかりですし、昔の歴史や歴史上の人物も初耳でしたが、大部分の日常単語については違和感はありませんでした。
テレビや新聞、椅子やリモコンなどの日常会話はまったく違和感ありません。

最初は家族に馴染めず、敬語で話したり、パンツや下着を洗われるのが嫌で自分で洗濯などしていましたが、不思議な事に本物の家族なんだと思えるようになり、前の人生は前世か夢だと思うようになりました。
そう思えてくると、前の人生での記憶が少しずつ失われていきました。

唯一鮮明に覚えていた両親の顔や兄の顔や友人の顔や田舎の街並みも、思い出すのに時間がかかるようになりました。
しかし、あの最後の一夜、宗教施設での記憶だけはハッキリ覚えていました。
特にあの満面の笑みの老人の顔は忘れられませんでした。

新しい生活にも慣れ、カウンセリングの回数も減り、半年後には高校にも復帰しました。
二十歳で高校3年生からやり直したのですが、友人もでき、楽しさを感じていました。
テレビ番組も観た事がない番組ばかりでとても新鮮でした。神奈川県の都市でしたので、都会の生活もすごく楽しかったのを覚えています。

しかし、高校復帰から4ヶ月ほど経った後に、意外な形であの世界とこの世界とをつなぐ共通点が現れました。

ちょうど夏休みに、私は宿題の課題のため、本屋で本を探していました。
すると、並べてある本の中で『○○○○』という文字が目に入りました。
宗教関連本でした。『○○○○』というのは紛れもなく、私が最後の夜に侵入した新興宗教の名前でした。
私は驚愕しました。そして本を手にとり、必死に読みました。
『○○○○』は、この世界ではかなり巨大な宗教団体というのが分かりました。
私のいた世界では、名前も聞いた事がない無名の新興宗教団体だったのに、こちらでは世界的な宗教団体だったのです。
それから私はその宗教の関連本を何冊も買い読みあさりましたが、それは意味がない行為でした。
読んだからといって何も変わりません。
戻れるわけでもなければ、誰かに私の過去を証明できるような事実でもありません。
周りに話したところで
「それは意識がなかった時に○○○○が夢に出てきただけだ」
と言われるだろうと思ったからです。
それに、親切にしてくれる新しい家族や友人たちに、迷惑や心配をかけたくなかったのです。
せっかく高校にも復学し、過去の話をしなくなった私に対して、安心感を感じてくれている周囲に対しての申し訳なさ、また、カウンセリングに通う苦痛を考え、私は見て見ぬふりをする事にし、普通に人生を送ってきました。

17年が経ち、私も今は都内で働くごく普通のサラリーマンです。
ではなぜ今さらこんな事を書き記そうと思ったかと言うと、先月、私の自宅に封書の手紙が届きました。
匿名で書かれた手紙の内容は

『突然で申し訳ありません。私はあなたをよく知っています。あなたも私をよく知っているはずです。あなたを見つけるのにとても長い時間と手間がかかりました。
あなたは○○という名前ですが、覚えていますか?また必ず手紙を送ります。この手紙の内容は誰にも言わないでください。あなたの婚約者にも。よろしくお願いします。』

という内容でした。
○○○と呼ばれても、私にはもはや全くピンときませんが、以前そんな名前だったような気もします。
手紙が送られてきた事に対しては不思議と恐怖も期待もなく、どちらかというと人ごとのように感じました。
そして、その手紙の相手は先週二通目を送ってきました。

要約すると
『あなたが知っている私の名前は○○です。あなたは覚えていませんよね?どうやらここにはあなたと私しか来ていないようです。』
と書かれ
『今月25日の19時に○○駅前の○○にいるので、必ず来てください。あなたに早急に伝えなければならない事があります。必ず一人で来てください』
と書かれていました。

私には○○の名前が誰なのか一切覚えていませんが、会いに行くつもりです。行かなければならない気がしています。
誰がそこに立っていたとしても思い出せないと思いますが、あの夜のメンバーなら話せば誰なのか分かります。
できればBであってほしいです。

なにが起こるか分からないので、こういう形で書き残そうと思いました。同じような文面を、婚約者と唯一の身内になった妹には残しておこうと思います。